年を少しずつ重ねるからか
長く仏壇店に居るせいか
仏壇が無いと、お参りって出来ないなって
つくづく実感します

以前は、仏壇なんてなくても
浄土真宗は、開祖の親鸞聖人の時には無かったからって
仏壇が有っても無くても、信念さえあれば・・・
って思っていた時が、かなり有りました
でも、少し限界を感じて
家に、仏壇を迎えた時
なんだか、パートナーを見つけた時の様に
迎えた仏壇にツイツイ手を合わしてました・・・

身近な方が無くなって、薦められるままに仏壇を買った方は
最愛の方が無くなってから毎日仏壇に
話しかけておられたとの事
最愛の方が、存命中は、やりたい放題で
家の中なんか返り見なかったと言われてました
いま、まだ家の中の道具の一つにさえ
思い出が詰まっていて触れない
何をするにも、まず、仏壇に問いかけてから次の行動へ・・・
生きる指針に仏壇をされている

正座して、仏壇に手を合わす

簡単な動作ですが
ほんの何秒か、感謝の時間を頂いてるような気がします

身内に不幸が有ったからで無くとも、手を合わせる事によって
少し安心出来る自分に合える

朝晩、少し自分に問いかける時間を頂ける事に有りがたさを感じます

いい時間を、頂くことが出来る事に、感謝です

   総務部   長谷川昭宏