先日、修理の為にお預かりされてきた、お仏具を点検していた時のことでした。
寄進者の銘文を見ると、約200年前の元号が刻まれておりました。調べてみると、
その頃には、間宮林蔵や杉田玄白らが活躍していた時代でした。思えば、200年と言えば
幕末から明治、大正、昭和を経て平成と日本が大きく変化していった時代であります。
そんな時の中でも当時のままのすがたで存在していた事は、ある意味で奇跡だと思います。
時間が逆流したような心持がしました。しかし考えてみれば、過去に幾人の人達が、このお仏具に携わってきたのでしょうか。そんな名も無き人々の尽力が、あればこそ、この時代まで存在し続けたのでありましょう。どんな人間もいつかはこの世から去るときがきます。
形があるもはいつかは、無になる。色即是空、空即是色・・・。ですが思いは残る。それはこのお仏具に込められているのではないでしょうか。先人達が、後の世に伝えたかったのは
そんな「想い」なのではないかと思います。いずれにしても、これを次の時代に繋げる一助になるのですから、これぞ仏壇屋の「ほまれ」であります。
工房 けい・えぬ
寄進者の銘文を見ると、約200年前の元号が刻まれておりました。調べてみると、
その頃には、間宮林蔵や杉田玄白らが活躍していた時代でした。思えば、200年と言えば
幕末から明治、大正、昭和を経て平成と日本が大きく変化していった時代であります。
そんな時の中でも当時のままのすがたで存在していた事は、ある意味で奇跡だと思います。
時間が逆流したような心持がしました。しかし考えてみれば、過去に幾人の人達が、このお仏具に携わってきたのでしょうか。そんな名も無き人々の尽力が、あればこそ、この時代まで存在し続けたのでありましょう。どんな人間もいつかはこの世から去るときがきます。
形があるもはいつかは、無になる。色即是空、空即是色・・・。ですが思いは残る。それはこのお仏具に込められているのではないでしょうか。先人達が、後の世に伝えたかったのは
そんな「想い」なのではないかと思います。いずれにしても、これを次の時代に繋げる一助になるのですから、これぞ仏壇屋の「ほまれ」であります。
工房 けい・えぬ