ご遠忌を機に、親鸞聖人終焉の地を尋ねてみました。
そもそも終焉の地は文献によると京都市に二箇所、下京区西洞院松原の光圓寺様、中京区御池柳馬場上ルの現御池中学校の法泉寺跡です。なるほどこの二箇所は有名ですよね。法泉寺様の涙を流した虎石のお話も京都の故事になっていますし。でもあと一箇所あるんです。
それは右京区山内の三条通京福電鉄山ノ内駅北側の山内交番があった角地です。ここに昔から『親鸞聖人往生の地』という石碑、丈1m80cm、巾60cm程の自然石の石碑が立っていました。少なくとも、京福電鉄を生活の糧にしておられる地元の皆さんは電車の窓からハッキリ見えていたこの石碑でもって、“ここが親鸞様の最期の地か”と思っておられたことでしょう。私自身もそうでした。
でも今、その地に無いんです。交番の移転に伴い無くなってしまいました。
簡単になくなるのならニセモノだった?と思ってしまったのですが、それがやはりホンモノだったんですね!なんと現地400m程北の本願寺派様角坊別院様門前に立っておられました!よかったです!
今後調査が進み、終焉の地論争に決着でもつきますならば、かならずや彼の地に石碑が戻ってこられるのではないかと夢を見ています。
ほんと子供の頃から祖父さん祖母さんがよく話していたエラ〜イお坊さんの親鸞さまは “ココでなくなられたのか〜。”と感慨にふけっておりましたので・・・。是非そうでありますように! 本店・平岡
そもそも終焉の地は文献によると京都市に二箇所、下京区西洞院松原の光圓寺様、中京区御池柳馬場上ルの現御池中学校の法泉寺跡です。なるほどこの二箇所は有名ですよね。法泉寺様の涙を流した虎石のお話も京都の故事になっていますし。でもあと一箇所あるんです。
それは右京区山内の三条通京福電鉄山ノ内駅北側の山内交番があった角地です。ここに昔から『親鸞聖人往生の地』という石碑、丈1m80cm、巾60cm程の自然石の石碑が立っていました。少なくとも、京福電鉄を生活の糧にしておられる地元の皆さんは電車の窓からハッキリ見えていたこの石碑でもって、“ここが親鸞様の最期の地か”と思っておられたことでしょう。私自身もそうでした。
でも今、その地に無いんです。交番の移転に伴い無くなってしまいました。
簡単になくなるのならニセモノだった?と思ってしまったのですが、それがやはりホンモノだったんですね!なんと現地400m程北の本願寺派様角坊別院様門前に立っておられました!よかったです!
今後調査が進み、終焉の地論争に決着でもつきますならば、かならずや彼の地に石碑が戻ってこられるのではないかと夢を見ています。
ほんと子供の頃から祖父さん祖母さんがよく話していたエラ〜イお坊さんの親鸞さまは “ココでなくなられたのか〜。”と感慨にふけっておりましたので・・・。是非そうでありますように! 本店・平岡