今年5月に親鸞聖人終焉の地として投稿したのですが、その時より、はたして本当の終焉の地、往生なさった場所『善法院様』はいったいどこなのか?探して見たくなりました。
前述しました角の坊別院様山門前の石碑は数年前に、約300m南の三条通り角地より移設されたもので、往時は南西を正面にして建ててあったものです。更には最初は南向きだったと考えられる点があります(西向きに据えられた為、何とか南向きに近づけようと礎石に対し、札石を斜めに立てた跡があります)。 その南向きだった際に東と北を指す[指差し線]が刻んであるのです。
この事を参考にして、過日、探索いたしましたところ、東と北、つまり元石碑があった場所から北東200mほどの地点に山内山王神社がありました。
山王神社とは比叡山延暦寺様を本地とする日吉大社様の末社で、山ノ内と言う地名は、比叡山の山の内、つまり延暦寺様の領地であったことから付いた地名です。 
そもそも善法院様は延暦寺様におられた親鸞聖人の実弟 尋有様が留守役を勤めておられ、それを頼って火災の難を逃れた聖人が身をよせておられたとのこと、これはかなり往生の地論争に加わるのでは! と期待が出てまいりました。
よく考えてみますと、岡崎の草庵(現 岡崎別院様)も山王神社である岡崎神社様に隣接されてますよね。
益々ワクワクして参りました。
また、この山内山王神社の境内にはナント!、樹齢700年余とされた楠が3本も、今も尚生き生きと植わっておりました。まさに聖人のみ教え隆盛の如しです。
加えてナント!『親鸞聖人足跡の石』といわれる岩盤まで祀られてありました!
これはもう史学のド素人の私にとっては『この地こそが親鸞聖人往生の地』と思わざるをえなくなったのです。
皆様!いかがでしょうか?    本店/平岡秀明

※御伝鈔に『禅坊(ぜんぼう)は長安(ちょうあん)馮翊(ふよく)の辺(ほとり)押小路(おしのこうじ)の南(みなみ)、万里(まで)の小路(こうじ)より東(ひんがし)なれば』とありますが、当時の平安京では朱雀大路をハサミ、東を洛陽、西を長安とし、東西に同じ地名、通り名があったようです(嶋本尚志さん 京都唐名考)。朱雀大路跡を軸に、現在の柳ノ馬場(万里小路に近い)東、押小路南の地点を反転しましても、ちょうどこのあたりになります。

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