冬の日、朝、通勤途中道路脇にある温度計が0度という日も多々あるこの頃。雪国の人達にすれば0度等
暖かいほうだと言われそうだが、京都という土地柄を考慮すれば寒さの底という表現が相応しいとこであろう。 
そんな日が数日続くとこのまま永遠に冬の日に世界はおおわれ、夏の暑さが嘘であったかのように錯覚する。
しかし、半年もすれば確実に電光表示板には30度後半の気温が示されよう。暴力的ともいえる暑さの日常が
待っている。
 昨年のまだ暑くなる前のこと。工房の敷地内の植え込みにKさんが花の種をまいた。一応つつじが植えては 
あるのだが、夏になると栄養が悪いため雑草畑になるのが毎年のことである。それならばというぐらいであった。 
時期が遅かったのと前述したように土の具合も栽培には適してない環境なので当初はどうかと思った。
1週間程して一斉に発芽した。暑くなると共に草木によってまちまちだが目に見えて成長していった。それを見るとこちらとしても力がはいるもので雑草を抜いたり、自宅から肥料を持ってきたりとなにかと手を加えるようになっていった。8月、照りつける日差しと体にまとわりつく湿気を感じつつ手入れをするのが日課となった。9月上旬、私の 
背丈より大きくなった草木に花が咲いた。大輪である。それを見るにつけ自身としても「花が咲いた」ような心持に
なった。Kさんが言うには近所の人が口々に「咲きましたね」と声をかけて来たそうである。当事者だけの遊興として
始めた事であったが、思わぬ形で人の目をひく、ある意味での訴える力、大なるものを実感させられた。
 さて、今年はいつ種を蒔こうかと考える、冬の日にて夏を想う昨今である。

                                                    工房 永田勝巳