仏具に関して書く事が無いので、別の事を書きましょう。
 滋賀県の信楽の南に多羅尾という集落があり、そこから三重県伊賀上野に抜ける峠越えの道があります。
 滋賀県側は数年前に改修され、路面も良く、5,6個先のコーナー迄見通せる箇所もあったりして、短いですが
車や単車で走るのが楽しい峠です。
 さてこの峠、歴史上でも登場します。
 それは戦国時代、本能寺の変がきっかけとなります。
 知らせを聞いた家康はこの時、信長の許しを得て、堺で僅かの家来だけ連れて物見遊山、つまり有給休暇中でした。
 天下が信長から光秀に大きく舵を切られ、自分も信長の二の舞になる恐怖の中、家康は堺から三河迄逃げ帰ります。
 僅かの家来しかいない家康の心情はおそらく丸裸でゾンビの群れの中を抜けていく様なものではなかったか?
 この時の逃亡ルートの中で難所となったのがこの御斎峠です。
 無論当時と今では峠はあまりに姿を変えています。
 今、峠付近にはゴルフ場、温泉、展望台等がありますが、それらに紛れて、刑場跡というのがあって、怪しいオーラを発しながら森の中へと口を空けています。私は怖くて入ったことありません。
 今はあっという間に通り抜けられるこの峠に限らず、歴史を刻んだ道は素敵です。
 我々の造る仏壇もその家庭の歴史を刻み・・・・うーん、最後に仏壇って言葉に結び込もうとしたが・・・・いくら好意的に読んでも無理やり過ぎるな・・・・
 それでは本日これにて御免! ドロン、シュシュシュシュっ・・・・
                                          山科工房 広地