「 虎は死して皮を留め、人は死して名を残す。」ことわざである。この場合の「名」は、その人の存命中に残した  
「仕事」と解釈してよいだろう。それを目の当りにした出来事があった。
 7月、京都は祇園祭である。特に17日は山鉾巡行であり、当日はまさに祭一色である。さて、その日が命日にあたる方がおられる。職業は俳優。日本映画界全盛期の頃、活躍され30半ばで亡くなられた御仁である。代名詞は
「円月〜」と言えば理解していただける方も多々いると思う。その氏の業績を讃えて作品をまとめて毎年この時期に上映しているところがある。もう20年ちかくになるそうだ。私自身も足繁く通いだして幾年かなる。いつもながら
映画館は盛況ぶり、客層は圧倒的に当時を知る世代で占められている。個人的には、「現代では製作出来ない
本編を観る。」の一言に顔をだしているのだが、多数は俳優その人のファンと言うところである。上映前はあちらこちらで「御無沙汰しております。」あいさつが交わされ、この場にて知己になった、さながらファンの集いという具合である。
その中に「毎年、福岡からきてます。」と言っておられた方がみうけられた。まさに当時を知る世代の人であり、その時代にいないと解らない話をされていた。古い作品だが全てというわけにはいかないが、DVD等のソフト可されテいるシャシンも多々あろうにも拘らず、京都まで出向いてこられているようである。とはいえ、ただ映画を観るだけなら自宅でも充分であろうが、ここに来れば「 同好の士との語らい」というプラスがありそれ故のことだと推察する。
改めて思う。仕事を単に残した者とそれを引き継ぎ残す者の両者の関係。それがあってこその「残る」ということを。 最後、余談になるのだが雨が降るようなフィルムのラスト、「完」の文字が浮かぶと同時に場内各所から拍手が聴こえた。昭和を想わずにはいられない一幕であった。

                                               京都工場 永田